ウブドのランドマーク的存在。赤レンガの門、見事なレリーフ、そしてダンス会場として使われています。
アパ・カバール、バリ島ナビです!バリの中でも、芸術の村として有名なウブド。このウブドの中心に、市場と向かいあうかたちで建っているのが、ウブド王宮「プリ・サレン・アグン(以下プリ・サレン)」です。今日は、ウブドの歴史、現代まで受け継がれてきた王宮の果たす役割などをご説明しながら、この、ウブド王宮「プリ・サレン」をみなさまにご紹介したいと思います。
ウブド王宮の成り立ち
時代は18世紀。それまでバリ島を支配していたゲルゲル王朝が崩壊し、バリは9つの小国に分かれました。そのうちのひとつに、ギャニャール王国がありました。そして1880年、このギャニャール王国の傍系として、イダ・チョコルド・グデ・スカワティが初代ウブド王となります。
1899年、初代ウブド王の次男として生まれたのが、チョコルド・グデ・ラカ・スカワティでした。王家の次男として生まれた彼は、しかし1917年バリ島を襲った大地震で、王家の長男が亡くなったため、ウブド王の跡取りの座につくことになります。
1908年、それ以前からバリ島に勢力を拡大していたオランダは、この年最後の抵抗王国だったタバナン王国とバドゥン王国との戦いに勝利し、バリ島を完全に植民地としてその手中に納めることになります。それよりさかのぼる1900年、オランダとバリの各王国との戦いが続く中、ギャニャール王国は1900年にいち早くオランダに降伏し、「オランダ保護領」として認定されていました。これにより、ギャニャール王は「領事」という立場を与えられ、その地位を安定させられることになります。ギャニャール王国の傍系であるウブド王家も、そのためオランダ植民地政府の重職を担うこととなり、当時のジャワやバリの他の王家に習い、子供たちに西洋式の教育を授けます。こうしてチョコルド・グデ・ラカ・スカワティや弟のチョコルド・アナッ・アグン・グデ・スカワティ(1910年誕生)も、西洋の教育や文化に親しんで育つこととなるのでした。
チョコルド・グデ・ラカ・スカワティは1930年のパリ植民地博覧会で、はじめてバリ島のガムランと舞踊を世界に紹介します。これにより、ヨーロッパでは空前の「バリ・ブーム」が起こりました。ドイツ人画家ルドルフ・ボネ、オランダ人画家ウォルター・シュピース、そしてメキシコ人音楽家ミゲル・コバルビアスなど多くの外国人アーティストたちがウブドに住み着くこととなり、彼らに西洋画法を教えたり、新しい舞踊や音楽を作り出したりすることで、現在の「芸能の村」ウブドができあがっていったのです。そしてこれらの外国人アーティストたちに庇護を与えていたのが、早くから西洋式教育を受け世界というものを知っていた、ウブドのチョコルド王家の人々だったのです。
そんなウブドの歴史を頭の隅にちょっととどめて、それではウブド王宮を訪れてみることにしましょう。
ウブドの中心は、東西に伸びるジャランラヤウブド(ウブド大通り)と、南に伸びるモンキーフォレスト通り、北へ伸びるスウェタ通りが交差する場所。そしてこの中央に立つのが、ウブド王宮「プリ・サレン」です.
プリ・サレンを背中に、ウブドの街を眺めると、通りをはさんで、ウブド市場、観光案内所、集会所の建物が見えます。まさにここは、ウブドの中心。プリ・サレン側の一角に面してウブドの街を見下ろすように立てられている建物は、バレ・パトッと呼ばれ、王様の東屋式の物見台、また休憩所として用いられたものだそうです。
バレ・パトッを過ぎてスウェタ通りへ足を進めると、プリ・サレンに入る入り口があります。石の像に両脇を守られたこの入り口から中へ入ると、そこはプリ・サレンの前庭です。
スウェタ通り側の入り口からプリ・サレンの前庭に足を踏み入れると、正面にはコリ・アグンと呼ばれる高い門が聳えています。プリ・サレンのコリ・アグンの見事な彫刻は、ネカ美術館にその展示館のある、バリを代表する画家のひとり、グスティ・ニョマン・レンパッドの手によるものだそうです。コリ・アグンは、左右に一対の小さな門を備えていて、普段は正面の大きなコリ・アグンから出入りすることはなく、左右の門を使うこととなっています。
コリ・アグンの正面は広い庭となっており、これはアンチャッサジと呼ばれています。この場所は芸能の公演に使われることもあり、アンチャッサジを取り囲むこの前庭の部分には、四つの東屋(バレ)が建てられており、普段はガムランの楽器などが置かれています。王家で儀式が執り行われるような時、たとえば2011年8月18日に行われた先代当主の奥様の葬儀のような場合は、このアンチャッサジの部分で葬儀の準備が村人の手によって行われます。また日曜日の午前中はこの場所で、子供たちのダンスのレッスンも行われています。
このように、家の正門前に、庭を設置できるのは、プリと呼ばれる王家の住居のみに限られ、普通の人の家では、通りに面して正門を設置しなければいけないことになっています。まさにこの、コリアグンをのぞむ前庭の部分、これがプリ、王宮独自の建築部分なんです。
プライベート・エリア
コリ・アグンから先のエリアは今も王家の一族が暮らすプライベートエリアで、一般の人々はここから先へは入ることができません。しかし同じ王宮の敷地内に、旅行者のためにホテルとして解放している部分があるんです。一番北側にあるバレが、このホテルの受付も兼ねていますのでお願いして、中を見せていただきました。
ホテル、と言ってもここは、言ってみれば「ホームステイ」方式のお宿。それでもそこは「王宮」の中です。みごとな彫刻が施された建物だけでも一見の価値があります。ウブドの中心にあるというのに、そこには「静けさ」が漂っていました。「古き良きウブド」そんな言葉が一瞬頭の中に浮かびます。
現在、バリ観光の大きな目玉となっている「ウブド」。そのウブドという場所を、オランダの植民地であった時から守ってきたチョコルド王家。彼らはオランダ政府の重職という立場で、外国からのアーティストを庇護すると共に、ウブドのバリ人の暮らしや芸能、文化の発展にちからを尽くしてきました。現在もチョコルダ家の次男はギャニャール県知事の職にあります。
ウブドというエリアは、いわゆる「文教地区」のような様相を呈していて、今でも24時以降のライブが禁止されています。またクラブ、ディスコのようなものは、ウブドでは営業することができません。これらウブド独自のルールの成立に関しては、ウブド王家であるチョコルド家がその中心となってきました。とはいえ、観光と伝統の境界線が急激に変わりつつある現代、ウブドの人々が抱える問題はこれからますます増えてくることと思います。プリ・サレンには今日も、世界中から旅行者たちが訪れています。変わり行く世の中で、いつまでも変わらないもの、ウブド王宮プリ・サレンは、そんな目に見えないウブドの人たちの大事な「よりどころ」なのかもしれません。以上バリ島ナビでした~!