王宮と裁判所跡はバリ東部で最も重要な文化遺産。天井一面に描かれたカマサン・スタイルの絵画は必見!
アパ・カバール、バリ島ナビです!様々なスタイルのあるバリ島絵画のひとつ、カマサン・スタイル・アートをご存知ですか?「そんなのわからない」という皆さんも、バリを訪れたら、一度はきっと、お土産屋の店先や、レストランに飾られた絵をご覧になっていると思います。バリの絵画スタイルの中でもひときわユニークで人間くささに、魅了…いえ、思わず苦笑いをしてしまう、カマサン・スタイル・アートの故郷、そして、バリ東部で最も重要とされる文化遺産の地、「クルタ・ゴサ」をご案内してみましょう。
海岸線とヤシの木、そして水田やたわわに実るスイート・コーン畑が続くサヌールを出発。そのままバリ島の東側の海岸沿いを走り、バリ東部最大の町、スマラプラ県クルンクン市に到着です。この街のほぼ中心、へそとも言える場所に目的地、「クルタ・ゴサ」はあります。
クルンクンの中心のモニュメント
スマラプラ県の旧称はクルンクン県。1995年に改称されて今の名称になりました。なんと300年の歴史を誇るバリの古都でもあります。少しだけこの街の歴史をご紹介します。
16世紀、まだバリにはたくさんの王国があった時代、今のクルタ・ゴサに程近いゲルゲルという地に、ジャワのマジャパイト王朝の影響を強く受けたゲルゲル王朝が起こります。古典文学、仮面劇、影絵芝居、音楽、絵画、彫刻などのゲルゲルの宮廷芸術はバリ全土に芸術的な影響を及ぼしました。18世紀にゲルゲル王朝はこの地、スマラプラに遷都、クルンクン王朝と名を変えます。当時のバリは8つの王朝が勢力を競い合う時代でした。時は流れ、オランダが侵攻し、バリの王朝は次々と屈して行きましたが、クルンクン王朝は最後まで抵抗し続けました。しかし1908年、近代的な武装のオランダ軍に対し、青銅の刀や槍、弓矢だけで「ププタン(最後の抗戦)」を挑み、ついに王朝は滅びました。そんないにしえの王族たちをしのび、遺跡として保存されているのが、この「クルタ・ゴサ」です。
温和でのんびりとした印象のあるバリ島ですが、少し前には激しい歴史の波があった訳ですね。
そんな予備知識もちょっとだけ心のはじに留め置いて見学を始めたいと思います。
駐車場の向いが「クルタ・ゴサ」の正面入り口になります。バリの観光名所には欠かせないお土産を頭に乗せた物売りさん。以前訪れた時には何人もに囲まれて、お土産売り攻勢があったので、今日も心して歩き始めましたが、なぜか拍子抜けな程、誰も「売りつけて」くれません(笑)
クルタ・ゴサと書いてあるボックスで入場チケットを買い、石の割れ門から入ります。
門をくぐると美しい蓮池と、その中に浮かぶ「バレ・カンバン(王家の休息所の跡)」、そして、気持ちよく手入れされたヤシの木と芝生の広大な庭園が出迎えてくれます。
そして「サロン巻き」のおじさんもお出迎えです。
敷地の一番奥にこの地を守る寺院があります。そこも見学可能なので、タンクトップや半ズボン、ミニ・スカートで来場した場合はこのおじさんにサロン(腰巻き)を巻いてもらって略式の正装になりましょう。今日のナビはサロンを巻かずに入れる服装…とおじさんが判断してくれました。でも、サロン姿を皆さんにご紹介せねば!と、ジャワ島から観光に来ていたお嬢さんのサロン姿を撮影させてもらいました。
サロンを借りましょう
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サロン姿はバリ観光の定番スタイル
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右回りの順路に沿って進むと、石を幾重にも積んだ高床に重厚な屋根の建物、これが「クルタ・ゴサ」です。今はこの遺跡すべてを含めて「クルタ・ゴサ」と呼んでいますが、本来「クルタ・ゴサ」はサンスクリット語で「裁判所」のこと。遺跡ではありますが、なんと1942年まで、実際に使われていた施設です。王朝時代から、近代まで、ここでは地方の村レベルでは解決できない問題や、犯罪を裁く、いわば最高裁判所だったのです。
カマサン・スタイル・アートの天上画の面白さはもちろん「クルタ・ゴサ」のハイライトですが、ナビがここに来てもうひとつ、興味をそそられてしまうのが、建物のあちこちにに施された石の彫刻。今でもウブド近郊のバトゥブラン村や、ホテルのインテリアなど、いろいろな場所で石彫りを見ることはできますが、ここの石彫りは現在あまり作られていないモチーフも多く、歴史を感じてしまいます。
ナーガ像
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カマサン・スタイルの“地獄絵図”の天上画
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知恵の象徴である冠をかぶったナーガ(大蛇)の彫られた階段を上がっていくと、今日のハイライト、カマサン・スタイルの絵画が一面に描かれた天上とついにご対面です。影絵芝居の人形「ワヤン・クリット」の姿で人間、動物、神様、魔物などが所狭しと描かれています。
外国人観光客も、ドメスティックのお客さんも最初は「なんだ、バリっぽい絵画か」と、ちょっと見て、すぐに順路に戻りそうな様子でここに上がって来ますが、見晴らしのいいこともあってか、とりあえず写真をパチパチ撮ったりします。で…おや?と、描かれているのが「地獄絵」であることに気が付くんですね。すると、きっと興味が沸いてきてじーっと「鑑賞」し始めてしまいます。日本でも田舎のお寺の地獄絵に「ウソをついたらあの世で鬼に舌を抜かれるよ!」なんて子供をこわがらせたりしますが、テーマはそれと同じ。場所が裁判所ですから、「この世で良くない行いをすると、地獄に落ちてこんな苦しみを味わうぞ。」という絵が一面に並んでいます。
スマトラから観光でやって来たご家族も、子供達に絵を見せながら「お前はいつもお父さんの言う事をきかないから、火あぶりの刑だ。」なんて言ってます。どこでも同じですね。
実際に使用された、裁判用のテーブル
この天上画の下には、古めかしいテーブルをはさんでライオンの彫刻の椅子と牛の彫刻の椅子がそれぞれ3脚ずつ並べられています。ライオン側が裁判官、牛は裁かれる罪人とその弁護士、証人が座った椅子なのだそうです。
段差になった傍聴席
一段低くなった床が傍聴席…ぎゅうぎゅうに入ったら200~300人はいけるんじゃないでしょうか、ね。おまけに塀を隔ててはいますが、すぐ脇が街のメインストリート、今でも野次馬見物が大好きなバリの人たちのこと、当時も稀代の大泥棒だの、凶悪犯だのの裁判ともなれば、ここは、それこそ黒山の人だかりだったのでは…?と、のどかな日よりの庭園や町並みを見下ろしながら、ナビ、ひとり勝手に想像してしまいます。
そうそう、この裁判所跡には、なぜか、ポルトガル人とオランダ人を彫った古い石像も置いてあります。日本の黒船来航と同じように、目も髪も肌の色も違う外国人の姿を生まれて初めて見たバリの石彫り職人さんたちは、「あれが今、巷でウワサの外国人か~!」と彫らずにはいられなかったのでしょうか、ね。
「バレ・カンバン」へ
心行くまで「地獄絵図」も鑑賞できたので、階段を下りて順路に戻り、今度は蓮池に浮かぶように建つ「バレ・カンバン」に上がってみます。ここはスマラプラ王朝時代の王族の休息所として使われた建物を1940年に復元したものです。
蓮池に浮かぶような王家の休息所「バレ・カンバン」
一見、先程の裁判所跡と同じようにも見えますが、細部はずいぶんと違っています。天井画はマハーバーラタやラーマーヤナと言ったヒンドゥー神話をモチーフにした絵や、村の人たちが宗教儀礼の準備をしたり、祭礼や、そのあとの宴会を楽しむ絵、中には王様の栄光を称えるためでしょう、外国人を打ち負かす様子を描いた絵もあります。
建物を支える柱の一本一本にも、細密で鮮やかな花やツタのかわいらしい装飾がされ、その柱が立つ礎石には動物や子供や村の人が、これもかわいらしく彫られています。
バレ・カンバンから眺めるクルンクンの町並み
いにしえの王族…王様やお姫様たちは、ここから蓮池や町並みを眺めながら、お茶をいただき、くつろいだりしたのでしょう。風の吹き抜ける気持ちのいい休息所「バレ・カンバン」でした。
鐘楼“クルクル
順路を進むとクルクルと呼ばれる木製の鐘をつるした鐘楼に出ます。日本のお寺の鐘ともよく似た造りです。今も村の人々を集合させる時や大きな事件がおきたときなどにコーンコーンと打ち鳴らされます。
この鐘楼の正面に広がる、芝生と庭石が市松模様になった広場は向こうに見える寺院にお祈りを捧げる場所です。
鐘楼と博物館の前に広がる寺院と祈りの広場
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スマラプラの歴史と文化を展示する博物館
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博物館
そのすぐ脇にはこの地域の歴史や文化を展示した博物館が建っています。ここも知恵の象徴、ナーガが階段に彫ってあります。上がってみると、エントランスには、博物館の職員らしきおじさんたちが、ものすごーくのんびりとした様子で座っていました。
博物館、職員の皆さん(笑)
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展示室
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展示室への順路
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展示室への順路
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博物館の展示室は5つあり、1つ目は近郊の遺跡から発掘された、石器や石臼。
青銅の槍や、巨大なドラの複製品。
第二展示室、実際に使用された王様の輿
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ロンタル文書
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2つめはこの地の歴代王族の写真、実際に王様が乗っていた輿。紙がなかった次代、乾燥させたヤシの葉に手紙を書き、王様同士が送りあった「ロンタル文書」の実物。オランダ人やポルトガル人が本国やバリ島内で出版していた新聞のコピー。
第三展示室、スマラプラで作られる青銅の宗教用具
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塩田の紹介
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3つめの展示室は、宗教用具や、腰巻サロン、青銅のコインといったこの地域の特産品を展示した棚と「塩田」「伝統的な機織り布」「ヤシの実から精製する黒糖」を作る工程を紹介した写真と実際の道具の展示。バリのお土産でおなじみのガムラン・ボールも展示されています。
第四展示室、「ププタン(最後の抗戦)」
4つめの展示室は、バロン・ダンス(バリの獅子舞)に使うバロン(獅子)役の衣装と獅子頭、魔女ランダ役の衣装や、祭礼に使う宗教用具…そして、この博物館で、最も重要な展示「ププタン(最後の抗戦)」の絵画が飾られています。薄暗い、正直、お世辞にも良い展示環境とは呼べないこの博物館の中であっても、この油絵からはものすごい迫力で、当時、オランダ軍に立ち向かったバリの人たちの勇気や誇り、悔しさや悲しみが迫ってきます。
この絵の前に立つだけでもこの博物館を訪れる価値は十分にあると思います。ぜひ、じっくりと鑑賞してください。
第四展示室に置かれた博物館のゲスト・ブック
…この絵の迫力があってなのか、この部屋に設置されたゲスト・ブックには来訪した多くの人たちからの「感動した」という署名がありました。もちろんナビも書き込んでおきました。
5つめの展示室は廊下を隔てた向こう側にあり、「アムブロン・コレクション」と呼ばれています。アムブロン氏はローマに生まれ、各国を巡って、その旅行記、写真、絵画、彫刻を発表。1930年代から1970年台にはバリとフローレスを何度も訪れ、作品を作り続けました。それを縁に、フローレスとスマラプラは現在姉妹都市となり、それを記念してこのコレクションは展示されています。アムブロンはサヌールにミュージアムのある、ル・メイヨールとも交流が深く、その写真も展示されています。観光名所になる前のバリを写した貴重な写真や、アムブロンが残した彫刻、エッチング、油絵を見る事ができます。
再び外へ
さあ、再び外に出ましょう。博物館脇の寺院をながめつつ、順路を蓮池に沿って出口の方へと、のんびり散策します。博物館を出た人の多くが、はじめに来た順路を逆に帰っていってしまうので、こちらの「正式な帰り道」は閑散としています。その分木陰で涼んだり、蓮池の魚を眺めたり、苔むした石彫りをひとつひとつ眺めて歩くのは気持ちがよくておすすめです。
寺院から出口に続く順路
門を出るとチケット・ボックスのおじさんが笑顔で「ありがとう」と言ってくれたのが印象的でした。駐車場脇には冷たい飲み物やお菓子を置いた売店が並び、観光を終えたお客さんが一息ついています。
冷たいドリンクはこちらへ
ナビもお水を買って休憩しながら、長年ここでお土産売りをしているという、アグンおばあちゃんとおしゃべりすることができました。
お土産を売るアグンおばあちゃん
ゆっくり話してくれる言葉の端々からもこの街の人たちがスマラプラ王宮が栄えたこと、オランダ軍に猛然と抗戦していった人たちの勇気を今も誇りにしていることが伺えます。お土産におばあちゃんの売っていた「卵型のカマサン・オーナメント」(3つで2万ルピア)を購入しました。
市場で売られる伝統的な宗教儀礼の用具
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良い香りのするお供え
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駐車場の奥にはローカル向けの市場があります。クタやウブドのお土産中心の市場とは違い、「バリでの祭礼や儀式に使う道具、衣装、お供えなら何でも揃う!」と言った感じです。欧米から来た女性がバリの結婚式用のかんざしをじっくりと選んでお土産に買っているところにも出会いました。繁華街と違って激しい呼び込みは一切ないので、クルタ・ゴサ見学の帰りにのんびりと眺めるのにぴったりな、のどかな市場です。
小さな南の島、バリ島でくりひろげられた、王族の栄枯盛衰…そんな歴史ロマンが今もただよう街、スマラプラ県クルンクン。ぜひ一度訪れてみてくださいね。以上、バリ島ナビでした。サンパイ・ジュンパ~!